谷脇 裕子 弁護士のブログエントリー一覧
弁護士 谷脇 裕子
2014年06月23日(月)
世界で一番うつくしいもの
先日、あるパーティ会場に、今年9歳になった甥を連れていった帰り道のこと、自宅まで、かなりの距離がありましたが、その場の勢いで歩いて帰ることに。はじめて体験した華やかなパーティでの様々な催しに、興奮気味の甥は、いつにも増して、元気いっぱいでした。
夜景を見ながら、しばらく二人で歩いていると、ふいに甥が「さみしいね。」とひとこと。「ん?」にぎやかなパーティで、散々はしゃいだ後だったので、静かになった帰り道がさみしくなったのだろうと思いきや、
「おじいちゃんとおばあちゃん、いなくてさみしいね。」と。
その日は、甥の家族と私とで、私の父母(甥にとってはおじいちゃんとおばあちゃん)のいる実家に帰省した後、一緒に広島に戻ってきた日だったのですが、彼は、昼間に別れたおじいちゃん、おばあちゃんのことを思い出していたのです。
たまに会ったときに欲しいモノを買ってくれるおじいちゃんとおばあちゃん。大人のうがった見方で、だから、おじいちゃん、おばあちゃんに会いに行くことを喜んでいるものとばかり思っていました。この思い込み、なんと了見の狭いことか…。
子どもの長い長い一日の、しかも、エキサイティングな一日の終わりに、彼の心の中には、おじいちゃんとおばあちゃんがいたんですね。
いつもは、あまりにも気立てが良く、優しすぎて、ただただ心配が絶えない甥、そんな甥が何気なく発したことばに、この世界には、こんなにも純粋にうつくしいものがあったのかと素直に驚かされました。また、それとともに、本当は、私たち大人が彼のような子どもたちに伝えていかなければならない『この世界は生きるに値するんだよ』というメッセージを、逆に彼から教えてもらったような気がします。
子どもの心のなかの広大な宇宙には、きっと、大人のうかがい知ることのできない、もしくは失ってしまってもう取り戻せないうつくしいものが輝いているんでしょうね。
弁護士 谷脇裕子
弁護士 谷脇 裕子
2014年01月21日(火)
言葉について
クリス・ハートさんというシンガーをご存じでしょうか。最近は紅白にも出場されたので知っている方も多いかもしれません。
以前、あるテレビ番組を何気なく見ていると、日本語をテーマにトークがなされており、クリスさんが流ちょうな日本語で、「ありがとう」という日本語の美しさ、奥深さについて、目をキラキラさせながら語っていました。その後、デビュー曲の「home」という曲を歌っているのを聞き、言葉自体の美しさをかみしめるように、ひと言一言大切に歌う透き通った歌声に、一瞬にしてファンになりました。J-POPのカバー・アルバムが発売されていると知り、早速購入。選曲もさることながら、紡ぎ出される言葉のひと言一言がメロディーに乗ってまっすぐ心に届いてくるようでした。
彼は、歌う歌詞の単語一つひとつを改めて辞書などで調べ、たとえば「ありがとう」という言葉についても様々なニュアンスの中からそのフレーズに相応しい「ありがとう」をイメージし、そのイメージに相応しい声音、声量、ブレスの置き方などを選択しているのだそうです。
私自身、日本語という言葉の持つ固有の響きや美しさについて、特に意識したことはありませんでしたが、外国人シンガーによってそれを教えてもらいました。
言葉は、人にとって凄まじい威力を発するものであり、感動を与えられるものであると同時に、ときに人を深く傷つけるものでもあります。
これまで、当たり前のように使ってきた日本語ですが、母国語としている者として、用いる言葉のひと言一言について、意味を深く理解し、正しく、そして大切に発していく努力をしたいと思いました(彼のように上手に歌うことはできないけれど…。)。
弁護士 谷脇裕子
弁護士 谷脇 裕子
2013年05月27日(月)
「ル・マル・デュ・ペイ」
「ル・マル・デュ・ペイ」とは、最近話題になった村上春樹さんの新作の中で用いられている表現で「田園が人の心に呼び起こす理由のない哀しみ」を意味するフランス語だそうです(「そうです」、というのは、私自身は本の紹介記事を読んだだけで、本文を読んでいません。)
この「田園が人の心に呼び起こす理由のない哀しみ」というフレーズを読むと、なぜか目の前に情景が浮かび上がり、胸が締め付けられるような感覚を覚えます。今の自分と遠い記憶のようなものが結びつき静かに揺さぶられる気がするのです。
それは、変わらない普遍の風景が、かつての何の不安もなく未来に何かあると信じていた子どものころの感覚を呼び覚まさせ、同時にそれに対する喪失感や諦め、自分だけが変わってしまったという時間感覚の儚さ、人生の短さを教えてくれるからなのか?
国境を越えて人々のDNAに訴えかけてくるような何かをもった表現の存在に、(本は読んでいないのに)感動している最近の私です。
弁護士 谷脇 裕子
2012年10月01日(月)
運動会
弁護士の谷脇です。
運動会のシーズンですね。最近では、春に運動会を開催する学校も多いようですが、私の小学校二年生の甥と年中の姪の運動会は、先週、先々週に相次いで行われました。
私は、残念ながら見に行くことはできなかったのですが、運動会の日の夜は、甥と姪、そのパパとママ(私の妹です)と一緒に、ビデオ鑑賞会をして盛り上がりました。
姪は、運動会の前から、お遊戯のダンスを何度も見せてくれたり、「一等賞になるから見ててね。」とやる気満々。クラッシクバレエを習っていることもあって、本番のダンスのキレも周りとはひと味違う様子でした。
思い起こせば、お兄ちゃん(甥)が年中さんの頃は、周りにちゃんとついていけるのか、ママもはらはらドキドキの様子でしたが、女の子は本当にしっかりしていて、安心して見ていられる様子だったようです。
さて、そのお兄ちゃん、小学校に入学したころ、パンツを履き忘れて学校へ行き(パンツはパジャマと一緒に残っていたそうです。)、しかも、帰ってくるまで気付かないで、帰宅した際そのことを告げられると「何で履かせてくれなかったの」と大泣きしたことがありました。
いつも想定外の行動で、ハラハラさせてくれるお兄ちゃんですが、今年の運動会は、とっても男らしく逞しくなっていて、立派に見えました。
叔母としては、その成長が嬉しいような、ちょっと寂しいような…。
言うことをきかないときに「DS、持って帰っちゃうよ。」と言って従わせるのも、そろそろ限界かも。次の作戦を考えなければ。
弁護士 谷脇 裕子
2012年06月19日(火)
離婚裁判の不思議
最近、高嶋政伸さん、美元さんの離婚問題がメディアで騒がれていました。
法廷でのやりとりが詳細に紹介され、こんな状態になっているのに美元さんが「婚姻関係は修復可能」と発言していることなどが非難の対象とされていたりします。
しかし、そもそも、一方当事者が別れたいと考えれば直ちに離婚できるというのであれば、離婚裁判などという制度に存在の意味はありません。
離婚の裁判では、裁判官が、原告(離婚を求める側)の主張する「法律上の離婚原因」が存在するかどうかを判断することになります。ですから、原告が妻によるDVを離婚原因として主張していても、妻側が、実はDVを行っているのは夫であって自分ではないということを主張・立証し、これが認められた場合には、離婚は認められないことになります。妻側が、夫に非があることを主張しつつ、それでも離婚はしたくない、と主張することも十分あり得るわけです。互いに相手を非難しながら、離婚を争う、というのは、不自然に感じられるかもしれませんが、離婚の裁判とはそのようなものなのです。
結婚生活は、他の契約関係とは異なり、一方当事者が継続不可能と考えれば、解消するほかないようにも思えます。このように婚姻関係が破綻した場合、当事者の責任の有無に関係なく、婚姻関係の解消を認める考え方を破綻主義といいますが、日本の離婚裁判は、破綻のみでは離婚を認めない立場をとっています。
有名人の離婚報道は、スキャンダラスな内容ばかり取り上げられ、興味本位なコメントばかり多く見られますが、せっかくなので、婚姻・離婚制度の枠組み自体を考えてみるよい機会になれば…と思います。
弁護士 谷脇裕子