事務局 広島事務所
2016年02月08日(月)
今年の目標
既に2月に入っていますが、今日は旧正月なので今年の目標を。
目標は『新聞はその日のうちに読む』と『社説を3誌分読む』です。
新聞は日刊紙を2誌、週3回発行のものを1誌購読しています。昨年は、うち1誌はインターネットで記事全文を読めるのでお昼休みには目を通していたのですが、残り2誌については自宅で紙をめくって、となるので気がついたら3日分溜まっていた、ということもしばしば。これではだめだ、と決心して今年に入ってから上記目標を掲げて読んでいますが、達成率は今のところ7分の6、といったところでしょうか。関心の薄い分野は見出しに目を通すくらいで済ませてしまうのですが、それでも結構時間をとられるものです。なので、主婦の友ともいえる折り込み広告に目を通すところまではできていません。折り込み広告もおもしろいので、もっとうまく目を通すようにしたいものです。
社説を読む、は、最近読んだ池上彰さんや佐藤勝さんの本に影響されて始めたもの。
今までは社説を読んでも“読み比べる”まではしていなかったので、新たな気づきがあっておもしろいです。読んでいるのは自宅でとっている2誌(地方紙と全国紙)とインターネットで読める地方紙1誌。社説に何を取り上げてあるか、を確認するだけでも、それぞれの新聞社の特色が出ていて、興味深いです。
今は主にお昼休みと就寝前に読んでいる新聞ですが、もっと上手に新聞の情報を読み込んで、理解できるようになり、朝出勤したときには頭に入っている、という境地に達したいものです。
事務局 東広島事務所
2016年02月03日(水)
節分
今日は、節分ですね。
晩ご飯の献立は、もちろん、恵方巻き、イワシ、豆、こんにゃくです。
地域によっては、こんにゃくを節分に食べる家庭と食べない家庭があると聞きますが、私の実家では、こんにゃくを「腸の砂おろし」と呼んで、白和えにして必ず食べていました。
母から毎年聞かされていたのは、「体の中にたまった砂を出す」という意味で、要するに「体の中をきれいにして、一年間体調を崩さないように」という願いが込められているそうです。
ですので、私も毎年子供に同じように言い伝えながら、こんにゃく料理を用意しています。
もちろん、今日も同じ話をするつもりです。
弁護士 中岡 正薫
2016年02月02日(火)
粗忽長屋
住人が皆粗忽者(そそっかしい人)ばかりという長屋に住む八五郎と熊五郎。
ある日、浅草観音詣でに来た八五郎は人だかりに遭遇します。その場にいた役人に行き倒れがいると聞かされた八五郎がその死人の顔を見ます。すると、八五郎は、「こいつは同じ長屋の熊五郎だ。そういえば今朝こいつは体の具合が悪いと言っていた。」と言い出します。役人は「この行き倒れが死んだのは昨晩だから、今朝会ったというお前の友達とは別人だ」と言うのですが、八五郎は聞く耳を持たず、「これから熊五郎本人を呼んでくる。」と言い残してその場を立ち去ります。
八五郎は長屋へ戻ると、熊五郎に「お前が死んでるぞ。」「お前は粗忽者だから自分が死んだことにも気が付いてないんだ。」などと言い聞かせ、自分は死んだのだと信じた粗忽者の熊五郎を行き倒れのところへ連れて行きます。
熊五郎は、死体の顔を見て「これは間違いなく俺だ。」と言います。周囲の者は呆れて「この死体がお前のわけがない。」と言いますが、熊五郎も八五郎も納得しません。2人が「熊五郎の死体」を抱き起こして運び去ろうとするので、役人たちが止めに入り、押し問答になります。
すると熊五郎が「どうもわからなくなった。」とつぶやくのです。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」
そそっかしい2人のドタバタ劇と考えれば、生きている熊五郎が最後の最後まで自分のそそっかしさに気が付かず一言というサゲで終わりなのでしょう。
しかし、熊五郎は己という存在(意識主体)を認識しながら、自分の目の前に死人となった自分がいることの矛盾に対してその答えを出そうとしていたのではないでしょうか。
そう、熊五郎は粗忽者などではなく、きっとデカルト(我思う、ゆえに我在り)やハイデガー(存在と時間)にも匹敵する偉大な哲学者だったのです。
※哲学について浅薄な知識しか持たない者の与太話とお聞き流し下さい。
弁護士 中岡正薫