弁護士 谷脇 裕子
2014年06月23日(月)
世界で一番うつくしいもの
先日、あるパーティ会場に、今年9歳になった甥を連れていった帰り道のこと、自宅まで、かなりの距離がありましたが、その場の勢いで歩いて帰ることに。はじめて体験した華やかなパーティでの様々な催しに、興奮気味の甥は、いつにも増して、元気いっぱいでした。
夜景を見ながら、しばらく二人で歩いていると、ふいに甥が「さみしいね。」とひとこと。「ん?」にぎやかなパーティで、散々はしゃいだ後だったので、静かになった帰り道がさみしくなったのだろうと思いきや、
「おじいちゃんとおばあちゃん、いなくてさみしいね。」と。
その日は、甥の家族と私とで、私の父母(甥にとってはおじいちゃんとおばあちゃん)のいる実家に帰省した後、一緒に広島に戻ってきた日だったのですが、彼は、昼間に別れたおじいちゃん、おばあちゃんのことを思い出していたのです。
たまに会ったときに欲しいモノを買ってくれるおじいちゃんとおばあちゃん。大人のうがった見方で、だから、おじいちゃん、おばあちゃんに会いに行くことを喜んでいるものとばかり思っていました。この思い込み、なんと了見の狭いことか…。
子どもの長い長い一日の、しかも、エキサイティングな一日の終わりに、彼の心の中には、おじいちゃんとおばあちゃんがいたんですね。
いつもは、あまりにも気立てが良く、優しすぎて、ただただ心配が絶えない甥、そんな甥が何気なく発したことばに、この世界には、こんなにも純粋にうつくしいものがあったのかと素直に驚かされました。また、それとともに、本当は、私たち大人が彼のような子どもたちに伝えていかなければならない『この世界は生きるに値するんだよ』というメッセージを、逆に彼から教えてもらったような気がします。
子どもの心のなかの広大な宇宙には、きっと、大人のうかがい知ることのできない、もしくは失ってしまってもう取り戻せないうつくしいものが輝いているんでしょうね。
弁護士 谷脇裕子