弁護士 今田 健太郎
2014年11月19日(水)
弁護士の昼ごはん
弁護士の今田健太郎です。
街の中の紅葉も色づきはじめ、秋も深まって参りました。
秋といえば、食欲の秋ですね。
みなさん、弁護士の昼ごはん、と聞いて、どのようなシーンを想像するでしょうか。
一食あたり、何千円もする豪華なランチを食べて・・・、というのは優雅で憧れますが、現実はとても厳しいです。
まず、弁護士の場合は、会社員と違って、明確な休憩時間というものがありません。だいたい打ち合わせや、電話対応、さらには、裁判・調停などが長引いて、食事の時間がとれなくなるため、5分か10分ほどでコンビニのおにぎりなどを食べ、またパソコンなどに向かっていることが多いです。
また、弁護士法人あすかには、妻帯者もそれなりにいますが、愛妻弁当を作ってもらって、というパターンも見られません。
家庭内が不和というわけではなく(個人的願望かもしれない)、せっかく作ってもらっても、バタバタして食べ損なうと、もったいないし、そのようなことが続くと、家庭内に不協和音が鳴り響くことになるので、あえて避けているように思われます。
もっとも、忙しすぎて昼食を食べる時間がない、あるいは、昼食を食べるということを忘れていた、という日もそれなりにあります。
そんなときは、心優しい事務員さんが、機嫌次第で、お菓子と温かい飲み物を用意してくれるときもあり、嬉しくて涙が出そうです。
逆に、食べたことを忘れていた、ということもありますが、頻繁に続くようなら、良いお医者さんを紹介してもらうよう、事務員さんに頼んでおきます。
10年後には、せめてランチの時間くらい確保できるような生活になりたいものですね。
弁護士 大橋真人
2014年11月06日(木)
漢(おとこ)の世界
子どものころ、「漢」と書いて「おとこ」と読むという当て字が妙に格好良く思えて、何かに付けては使っていました。自分は「男」じゃない「漢」だ、という風に。そもそも、この当て字をどこで覚えたのか、今では全く思い出せませんが、なぜそう読むのかは分かっています、三国志です。
三国志は中国後漢末期の群雄割拠の時代から、三国(魏・呉・蜀)の成立、あるいはその後を描いています。現在では、映画やゲームなど色々な媒体のある三国志ですが、私が一番好きなのは、北方謙三先生の書いた「三国志」(全13巻)です。
この本は、どこをとっても傑作なのですが、中でも、北方先生が描き直した魅力溢れる登場人物達と格好良すぎる台詞には心が震えます。例えば、序盤、「治世の能臣、乱世の奸雄」と謳われた曹操孟徳と「人中の呂布、馬中の赤兎」と称された呂布奉先が雌雄を決する場面です。
曹操は呂布を完全に追い詰めますが、最後の最後に呂布に降伏して自分と共に来るよう懇願します。窮地にあった呂布にとって、曹操の誘いは生き延びる最後の手段です。しかし、呂布はこの誘いを一蹴し、曹操に対し、「男には守らなければならないものがある」と言い放ちます。堪らず曹操が「それはなんだ」と聞き返すと、呂布は「誇り」とだけ答え、自分にとって誇りとは「敗れざること」だと伝えるのです。この窮地にあって、このまま戦えば死ぬのは明白です。しかし、呂布は自ら「誇り」を捨てることだけはできなかったのです。そして呂布は、僅かな部下と共に大軍へと向かい、散ります。
どうですか!心が震えませんか!序盤で最高の盛り上がりを見せる場面です。私もいつか、大軍に追い詰められたらこの言葉を使うつもりでいます。北方三国志は、私に男と誇りを教えてくれたバイブルです。是非、皆さんも北方三国志で、群雄割拠の時代に誇りをもって生き、散っていく男たちの生き様と死に様を見て下さい。きっと心の琴線に触れる人がいるはずです。
そして、私はこの小説を読んだときから、漢という字を「おとこ」と読むのは、三国志の世界には魅力的な男たちの「漢」の世界が広がっているからなのだと確信しているのです。
弁護士 福田 浩
2014年10月31日(金)
誕生日
財布に入っている運転免許証と今読んでいる新聞の日付を照らし合わせると、どうやら本日は私の誕生日のようである。
小学生のころは、「プレゼントは何がいいの」などと、母親が、誕生日が近々来ることを教えてくれたものである。学生のころは、彼女から、心はこもっているが、身に付けるのが気恥ずかしい手編みのプレゼントをいただき、お返しが大変だなぁなどと要らぬ心配をしたものだった。
社会人になってからは、行政からも「そろそろ誕生日ですよ」などと親切にお知らせいただくようになった。運転免許センターの気遣いも行き届いているが、毎年お知らせいただくと、なお良いのではないだろうか。昨今では、親切にも誕生日を知らせる手紙をたくさんいただくようになった。有り難いことである。私の誕生日のお祝いとして、素晴らしい特典や特別割引をいただけるようなので、出掛けてみようか。
誕生日が来たからといって何歳になったのか自覚するわけではないが、小学生のころは、さすがに何歳になったか忘れることなどなかった。衝撃的なのは、30歳になったときだ。独身サラリーマン時代、すでに家庭を築いている同期も多くなり、合コンで、30歳なんて言えやしない、などと落ち込んだ。40歳になったときは、人生の折り返しを過ぎたことに、四十にして惑った。
ところが、不思議なことに、50歳になったときは何の感慨もなかった。学生時代の同期もサラリーマン時代の同期も、様々な人生を歩んでいる。まさに、人生いろいろ。若年時代には、年齢に応じた生き様のようなものにとらわれていたが、50歳を超えるころになってからは、誕生日はもとより、年齢は生き方には関係がないことを実感するようになったのだと思う。聞くところによると、世界には、そもそも自分の誕生日も年齢も知らないままに生活している人が多いそうだ。私も、そのような世界に入りつつあるのかもしれない。
弁護士 福田浩
