弁護士 今田 健太郎
2019年12月10日(火)
親友の予備試験合格~苦節20年の軌跡。
弁護士の今田健太郎です。
このたび、大学時代の親友が、足かけ20年にして、予備試験合格(法科大学修了と同等の資格)を手にしました。
その感動体験を、ブログにアップしました(本人の了解済みです)。
長文ではありますが、よろしければ、ご一読いただけたら幸いです。
(1)2か月前、携帯のショートメールに、人違いと思われる着信があった。
『予備試験の論文合格した。これから口述試験なんだけど、緊張して吐きそう。』
差出人の名もなく、番号も心当たりのないメッセージ。
そのとき、私は、群馬弁護士会に、災害関連の研修講師として招かれ、前橋市内での懇親会に出ていた真っ最中だった。
仲間の弁護士に、『なんか、彼女と勘違いしたようなメール届いてるよ。彼女風に返信してみるか。』などと言いながら、四方山話に、花を咲かせていたのだ。
宴会がひとしきり盛り上がった後、私は東京行きの終電に乗るため、タクシーで高崎駅に乗り付けた。
上りの新幹線ホームは、閑散としている。
私は携帯を取り出し、記念に、高崎駅の看板の写真を撮ろうとした瞬間、突然の胸騒ぎに襲われた。
『もしかして。。。』
いや、しかし。
『彼』は、滅多なことでは、自分から連絡をとらない。
そして、一切、弱音を吐かない男だった。
そう、あの大病のときでさえ。
やはり違う人物か。
逡巡しながら、私は、思い切って、見知らぬ番号にかけてみた。
数コールして電話に出た先の声は、あの懐かしい、気怠そうな響きをもった彼だった。
『おぉ、悪いな。論文受かってさ。これから口述試験なんだけど、何も手につかなくて。他に相談できる相手もいないから、つい。』
私は、大学時代より、究極の照れ屋である彼のほうから、連絡を受けた記憶がほとんどない。
こちらが、忖度して、『飲みに行こうよ。』と誘うと、ようやく、『え?あ、まぁ、いいけど。』って、照れ臭そうに言う、突拍子もなくシャイな男なのだ。
彼から連絡がくるのは、よほどのことだ。
人生最大の不安が押し寄せているに違いない。
それにしても、彼、論文に受かったのか。
司法試験の予備試験の合格率は、4%程度。
非常に狭き門だ。
しかも、大学生の若い頭脳に混じりながら。
しかも、大きな病気と向き合いながら。
苦節20年。
私は、彼の聞き慣れた声を耳にしながら、自然と涙が溢れてきた。
『良かったなぁ。ホントによくやった!』
(2)彼との出会いは、約25年前に遡る。
私は、18のとき、広島から上京し、大学付近のアパートに下宿することとなった。
大学のクラスは、学部ではなく、語学ごとに、クラスが分かれており、同じく中国語を選択していた彼と、一緒に行動する時間が増えていった。
私は商学部で、彼は法学部。
次第に、気の合う仲間同士で、学部の垣根を超えたグループが出来上がっていった。
仲間内で、初めて、私の下宿先を訪ねてきた彼は、横浜育ちのイケメンながら、どこか素朴な雰囲気を持っており、『俺、広島カープのファンなんだよ。変わってるでしょ。君、広島出身だよね?』と言いながら、カップラーメンを頬張っていた。
『君』とか呼ばれたこともない田舎者の私は、戸惑いながらも、部屋の音楽(当時は、MD)をかけて、共通言語であるカープの話題に花を咲かせ、少し安堵した。
以後、グループ内で、互いの下宿先を訪ねては、たわいもない話をして、朝方帰っていくという生活。
授業にも行かず、アルバイトやサークル活動に明け暮れていた。
このときの男子10人のグループは、今でも時折集まっている親友だ。
そんな仲間も、就職活動を迎え、氷河期の中、公務員や民間企業へと船出していった。
私は、就職から一年半あまりで、ゼネコンを退職し、司法試験を目指した。
色々な理由があったが、『彼』が法学部で、司法試験の話題をしていた際、関心を抱いたのも確かだ。
それもあって、私は、3年のときに、商学部から法学部に転部したのだった。
原則、転部は自由という校風の縁もあった。
しかしながら、私は、結果的に、3、4年生の間は、司法試験に取り組むことなく就職活動に進み、ゼネコンに就職した。
それでも、頭の片隅に、弁護士という選択肢が刻まれていたのかもしれない。
少し遅れて、仲間内の二人が民間企業を退職し、公認会計士試験に方向転換した。
そして、最後に、彼が、周りに触発されたかのように、大手都銀を退職し、司法試験への道を歩み始めた。
ほどなくして、私は、実家に籠もって猛勉強を開始し、運も味方した結果、司法試験に合格し、他の二名も会計士の試験に相次いで受かった。
しかしながら、彼は、思いのほか、司法試験に苦戦した。
他の仲間が合格して、取り残されたような焦りもあったかもしれない。
当時、司法試験は、合格率も3%程度で、どんなに実力があっても、どんなに努力しても、その日の体調や運に左右される側面があり、非常にリスクの高い試験であった。
我々10人の仲間は、それぞれ、また新たな道を歩みはじめ、時折、東京で会っては、新人ならではのストレスを発散して、大はしゃぎしていた。
彼もまた、飲み会に参加していたが、30代に入った頃から、アルバイトを理由に、顔を出さなくなってきた。
便りがないのは元気な証拠、との格言もあるが、私にとっては、毎年一回、彼が『元気か』との愛想のない言葉を添えて、送ってくる市販の年賀状が、彼との唯一の接点になっていた。
その年賀状を読むたびに、『こっちが知りたいよ、元気か?って』と突っ込みながら、半ば引きこもり状態になっていた彼を、遠方から案じていたのだった。
(3)あれは、今から3年前くらいだろうか。
どうしても彼のことが気になり、東京出張の際、携帯にかけてみたが、繋がらず。
やむなく実家にかけたところ、『どうした』との一声。
いやいや、久々に飲もうよ、と言って、半ば強引に誘ったところ、『あまり多くの人に会いたくない』と言うので、二人で会うことにした。
場所は、初めて行った、泉岳寺の大衆居酒屋。
日曜日の夜、閑散とした店内で、生ビールを飲みながら、途切れ途切れの会話が続く。
『そういや、今年、カープ優勝したな。高校以来じゃん?』
『うん。広島は、街中、盛り上がってるよ。』
彼は大好物であるビールを、ゆっくりと飲んでいる。
いつものペースではない。
歳を重ねたせいか。
『そういや、君、最近、えらい忙しそうだな。あんまり無理すんなよ。』
『お、おぅ。』何か様子がおかしい。
彼は、ジョッキに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干すないなや、
『実はさ、俺、大病しちゃったんだよな。』と告げてきた。
それは驚きを隠せないほど重たいものだった。
手術、リハビリ、どれも凄惨だった。
日常生活も不便があるとのこと。
司法試験の勉強も、体力、気力が続かないと、珍しく弱気な言葉も口にしていた。
あぁ、まだ司法試験の勉強やってたのか。
そのことに驚くと同時に、あまり根掘り葉掘り、勉強の内容を聞くには憚られた。
『いや、まぁ、ボチボチ生きて行くよ。』
そう言い残して、彼は、地下鉄の入口で、手を振って別れたのだった。
季節は巡り。
彼がどうしているか、気になることも多かったが、忙しさにかまけて、例の年賀状以外、連絡もとっていなかった。
相変わらず、彼からは、『元気か』と一言添えてある年賀状が、年始に届くのみのやりとり。
しかし、この、年に一度の便りが、彼が生きていることの証でもあった。
(4)こうして振り返ってみると、大病に患っていることを知った、泉岳寺での飲み以来、数年後に届いたショートメールが、冒頭の『ヘルプ』メールだったこととなる。
私は、高崎駅で、論文合格の報を聞いて以降、口述試験について、自分の体験を懸命に伝えた。
私が司法試験を受験した頃は、短答試験、論文試験をクリアした後、最後に、苦行とも言える口述試験なるものが存在した。
口述試験は、二日間にわたり、公法、民事系、刑事系の3科目が実施され、それぞれ30分程度、口査委員2名から、設例をもとに、法的な考え方をあれこれ聞かれるのだ。
密室で孤軍奮闘しなければならず、緊張と疲労で、それはそれは長く感じられた。
退室間際、考査委員に『もう少し勉強しておいたほうがよい。君には、時間があるからね。』と言われたときには、『あ、落ちたんだ。』と確信して、二日目以降、行く気力もなくしたほどだったが、なんとか気を取り直して、最終合格に辿り着いたのだった。
現行の、法科大学院を経由しない予備試験では、旧試験の名残りで、時間は短縮されたものの、口述試験が維持されている。
しかも、落ちたら、翌年は、最初の短答式から受けないといけない。
オールリセットなのだ。
私の時代は、口述試験に失敗しても、もう一度だけ、口述試験から受けることが出来たので、彼のプレッシャーは半端ないことが伝わってきた。
年齢も年齢だ。
来年受かるとは限らない。
(5)それでも、彼は乗り越えた。
そして、合格を手にした。
法科大学院卒業と同様の資格を得たのだ。
しかし、まだ来年、司法試験が待ち受けている。
予備試験組の合格率は高いとはいえ、彼にとっては、実に長丁場だ。
もとより、根性のある彼のことだ。
幸い、今のところ、再発もないとのこと。
きっと、司法試験も、その後の司法修習もクリアし、近々、弁護士としての第一歩を踏み出すに違いない。
約20年かけて、勝ち取った資格。
大病も患い、司法試験は諦めていたのだろうと、勝手に思い込んでいたのは私の方で、彼は諦めていなかったのだ。
何と強い精神力だろう。
その苦労の分だけ、痛みの分かる、素晴らしい弁護士になるはすだ。
『彼』の予備試験合格の一報には、10人の仲間も、大いに湧いた。
泣ける。
盛大に、祝賀会をやらないとな。
マジかよ。。。朗報すぎる。
あいつ、すごいな。
誘ってみよう。
『今度、みんなで祝賀会やるから、都内まで出て来なよ。』
『え?あ、そうなの。気が早い奴らだな。まぁ、いいけど。』
きっと、彼は、気怠そうに、そう答えるだろう。
彼の大好きなビールで乾杯できる日が、待ち遠しい。