弁護士 谷脇 裕子
2018年04月23日(月)
この春に思ったこと
日本画家の夫は、昨年の春、芸大・美大を受験する学生たちの実技指導をする予備校から声を掛けられ、1年間、毎日のように受験生の指導に当たることとなった。
夫には予備校講師の経験はあったものの、もう25年も前の話だ。こんなにブランクがあるのに、なぜ引き受けたのかと聞いてみたら、「もう一度、学生と生き合ってみたかったかったからかな・・・」と夫。
春夏秋冬、夫も学生も力の限り頑張ったようだが、現実は厳しく、受け持ちの学生たちは11月の推薦入試、国公立前期と立て続けに不合格。夫が「この子は力がある。」と自信満々で作品の写真を見せてくれたていた子まで不合格。私まで落ち込んでしまった。厳しい世界だと思い知った。夫は追い詰められていた。いわんや、本人たちの受けていたプレッシャーはいかほどだったか。
そんな状況の中で、夫は、「まだ後期試験がある。集中力を途切れさせてはいけない!大学の教授連中に磨いてきた力の全てを見せてやれ!」と鼓舞し続けたそうだ。強がりつつも辛そうだった。夫は、その言葉のとおり学生たちと生き合ってしまった(一人ひとりの学生を知ってしまった)からだろう。彼らを鼓舞する言葉とは裏腹に、受け入れがたい結果となることを誰よりも恐れていた。もちろん、皆の将来を預かっている自分が怯えてしまっては、学生たちを不安に陥れてしまうから、学生たちには「絶対合格!」「自分を信じろ」と言い続け、容赦なく迫ってくる時間との戦いの中で、指導の密度は増し、加速していった。
そして迎えた国公立後期試験の合格発表。果たして、夫が受け持った学生たちは、見事全員第一志望の大学に合格した。最後の最後に結果を出したのだ。
夫は、知らせを聞いた日、「涙はこぼれるものだと気づいた。自分の中にもこんな涙があると知った。」と言っていた。
見事に結果を出したのだから、引き続き受験指導を引き受けるものと思っていたが、あにはからんや、夫は3月末日をもって予備校を退職してしまった。本人的には、やりうる限りのことをやりきり、燃え尽きたようだった。いや、本当は、1年間味わったプレッシャーにもう一度立ち向かう自信がなかったのかもしれない。本当のところは私にはわからないが、続けることはできなかったようだ。
最高の結果を収めたうえ、今、プレッシャーから解き放たれて、作家活動に戻った夫は、何だか少し寂しそうな、うかない様子にみえる。
きっと、あのときの夫と学生たちの毎日のことを、充実していたというのだろう。充実感とは、それを得たいと狙ったから得られるものでも、「そのとき」に味わうことのできるものでもなく、その渦中は苦しく余裕のない、でも、その時にしか出会えない自分と出会えた瞬間、だからこそ得難く、過ぎてしまうとまた求めずにはいられない瞬間のことをいうのだと思う。