弁護士 谷脇 裕子
2017年02月14日(火)
眼差しのなかに見えたものは…
先日、甥(妹の息子)の中学受験が終わった。それにしても今どきの小学生は大変だ。私が小学生のころは、家で勉強はおろか宿題をした記憶さえないが、彼は小学4年生から3年間、学習塾に通って受験の準備をしてきたのだ。私たち夫婦は、妹家族の近所に住んでいることもあって、毎週末のように妹宅を訪れ、義弟(妹の夫、甥の父親)とお酒を酌み交わす間柄だ。ここ数年、私は、週末の夕方、妹宅を訪れる度に、塾帰りの甥と妹夫婦(甥の両親)の様子を、横目で見てきた。
中学受験の良否については、親でもない私がとやかく言うことではないと思う。ただ、近くで見ていて感じたことは、それが並大抵のことではかったということだ。不安の中で揺れる本人の心と、彼の将来を思う親の心がぶつかり合っては前に進む、といった感じの繰り返しだったように見えた。
塾に持たせるお弁当を作り、帰りが遅くなる日は迎えに行き、暗記やテストの復習に付き合い続けた妹(母親)、ロボットを作るエンジニアになりたいという甥の夢が叶うようにと熱心に進学先のリサーチをしていた義弟(父親)を間近で見てきた私は、つい、甥に「お父さん、お母さんを喜ばせてあげてね」と思ってしまう。自分が大人になり、歳を重ねた今になって、「親を喜ばせることなんてそうそうできないんだよ」「こんなチャンスはそうないんだから」なんて、なかなか親を喜ばせてこられなかった私の心まで揺れてしまった。もちろん、勉強は本人のためにするものだし、親は無事に受験を終えることができただけでも十分喜んでくれるのだけど…。
志望校合格発表の日の昼、妹から合格の知らせがあり、その日の夜、お祝いを言いたくて甥の家を訪ねたとき、甥に「合格おめでとう!」と伝えるつもりが、「心配してたんだぞ!!」と思わず抱きしめてしまった。そのとき照れくさそうにする眼差しのなかには、もう、暖かい春の木漏れ日がキラキラと輝いて見えた。