弁護士 上椙 裕章
2016年12月26日(月)
備中高松城
「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」
備中高松城城主清水宗治の辞世の句です。
というわけで、備中高松城へ行ってきました!
備中高松城といえば
秀吉の中国大返し、そして水攻め。
黒田官兵衛の助言で行われた水攻めですが
足守川の水を堰き止めて城を孤立させるために作られた堤防は
総延長4km×高さ5m×(上底12m+下底24m)÷2
この壮大な堤防を、わずか12日で作ったとか。
実際には湿地帯から嵩上げされていた街道を堤防として利用したりもしたようですが、
それにしても堰止めた部分は、一目では見渡せないほどの距離です。
これだけの堤防を作り、城を水攻めして「孤島」にしてしまおうというその発想が凄い!
私のような凡人では何日ここに立っていても思い付かないですねえ。
さすがは両兵衛
♪「半兵衛官兵衛が揃ったらドンベー・アフレイド、城は落ちたも同然さ!」
(by 兵衛'z)
と謳われた(歌われた)名軍師です。
沼地を利用した平城であり、石垣や堀のような遺構はあまりないため、
「お城!」と思って見に行くと、「あれ?お城はどこに?」といった感じですが、
今も敷地内の至る所に残る沼地が、約430年前に行われた水攻めを思い起こさせる
そんな城跡でした。
弁護士 上椙裕章