弁護士 谷脇 裕子
2016年03月23日(水)
立ち止まってはいけない?
今月15日のブログ(「永い言い訳」の長い言い訳)でも少し触れましたが、昨今、表現媒体や表現手段の広がりとは裏腹に表現に対する寛容さが失われ、ともするとポジティブなメッセージしか受け入れられにくくなっているように感じます。そして、最近どこでもかしこでも「過去を振り返るな」「立ち止まらず前を向いて進め(進もう)」(これこそが成功のルールだ)という趣旨の、それこそ耳障りの好い前向きなフレーズを耳にします(記憶に新しいところでは、SMAPの解散騒動後の木村拓哉さんの発言で「これから自分たちは何があっても前を向いて進んでいく」というものがありましたね。)。
しかし、ひねくれ者の私はこのフレーズに違和感を覚えます。時間は巻き戻せないのだから、もとより前へ進むしかない。そんなことは分かりきったこと。
一見、ポジティブに聞こえる、この「前へ進め(進もう)」の大合唱(?)。私には、このメッセージの流行が、とりもなおさず今を生きる私たちの不安の深さを物語っているように思えてなりません。また、このフレーズ(時代の精神)は、厳しい状況のなかで不安な気持ちをごまかすために都合のよい、自己暗示のようにも感じられます。誰もが失敗を恐れて、思考停止のまま、まるで乗り遅れてはいけないとばかりに“行き先不明の満員バス”に飛び乗ろうとしているかのよう(行き先は不明なのに!です。)。
しかし、不安な状況、厳しい状況であるならば、そうであるからこそ、ときには立ち止まり、ひとりぼっちになって去就を定める勇気が必要なのではないでしょうか。そう、それはとても淋しいことかもしれないけれど、つらい選択の責任を他人や社会に押しつけたことの代償は決して小さくはないはずだから。