弁護士 谷脇 裕子
2016年03月15日(火)
『永い言い訳』の長い言い訳?
西川美和さんの『永い言い訳』(文藝春秋)という小説を読んだ。西川さんの著作を読んだのはこれが2冊目だ。1冊目は『映画にまつわるXについて』という作品で、こちらはエッセイ集だった。私はこの本で、初めて西川さんが映画監督であり、広島県の出身であることを知った。
『永い言い訳』は突然の事故で妻を失った男の物語だが、この作品を読んでひとつ引っかかったことがある。それは、文章全体から感じられる、ある種の【照れ】のような印象だ。
表現媒体や表現手段の広がりとは裏腹に、なぜか表現に対する寛容さ、度量の広さが失われ、ともするとポジティブなもの(たとえば昨今よく耳にする「前に進め」などのフレーズ)しか受け入れられにくくなっている現代社会において、西川さんがおそらく一番表現したい、伝えたいと思っているであろう人間関係の厄介さ、煩わしさと、しかしそれこそがすべてだ!(本作のなかの表現を借りれば「人生は、他者だ。」)という本作を含めた西川さん自身のテーマのもつリアリズムは、重すぎて浮いてしまう。
西川さんの文章全体から感じられる【照れ】のような印象は、人間関係の重すぎるリアリズムと不寛容になった社会とをすりあわせるための長い言い訳のように感じられた。
深読みのしすぎだろうか?