弁護士 福田 浩
2015年10月14日(水)
騒音
いつの頃からだろうか,街が静かになった。
私が小学生であったころ,街は騒音であふれていた。老朽化した木造校舎の建て替えが盛んで,夏休み中,ガッコンガッコンという間断のない杭打ちの音が四方八方に響き渡っていた。蝉しぐれと相俟って,大人たちにはイライラさせる騒音でしかなかったかもしれないが,子供心には,コンクリート造り4階建ての校舎が建造されるというスケールの大きい出来事にワクワクした。近所には町工場が至る所にあって,煙突からは白や真っ黒なけむり,ゴムを焼いたような臭いとともに,ゴーというボイラーの音,キーンという旋盤の甲高い金属音,ガッタンゴットンという何かしらの大型機械の動作音をまき散らしていた。工場の中へ遊びに行くと,薄暗くて,汚くて,炉からの熱気でたまらなく暑くて,そして,耳をつんざく騒音である。そんな中でも,顔まで油まみれになった大人たちが機械と文字どおり格闘しながら製品を作っている姿を見て,モノづくりの大変さにビックリした。
いつの間にか,騒音を出す町工場は街中から消え去り,建設工事は騒音を出さなくなった。広島事務所のある上八丁堀辺りでは,現在,マンションやビルの建設ラッシュであるが,子供のころ聞いた杭打ちの音は勿論のこと,古い建物を解体する際にもほとんど騒音を出さない。一体全体どうやって騒音を立てずに工事しているのかよく分からないが,「あれっ,ここにビルが建っていなかったっけ」というくらい知らないうちに更地となり,地鎮祭が終ると,あれよ,あれよという間に5階,10階,15階,20階と積み上がってしまう。映像的には感動ものであるが,建設工事がまき散らす音が聞こえないからか実感が伴わず,現実感がない。
生活環境を考えれば,静かになったことは喜ばしい。しかしながら,ガッコンガッコンという杭打ちの音,頻繁に出入りする工事車両のディーゼルエンジンの音,ガンガンという槌音などの騒音を知ることなく,スムーズに建造物ができあがっていく姿を見ている子供たちは,きっと,モノづくりの大変さや感動なんて感じないんだろうな,と少し心配である。
弁護士 福田浩