弁護士 福田 浩
2011年07月13日(水)
ネクタイ
毎朝、姿見に映しながら、ネクタイを締める。社会人になってから、何千回も繰り返してきた儀式である。学生気分の抜けなかった社会人1年生のころは違和感があったが、四半世紀も繰り返してきた習慣でもあり、ネクタイを締めないで仕事することは考えられなかった。
法律学に携わる仕事をしているが、曰く「一般人を基準にして判断すると…」などと、人は合理的に行動する、行為に至った動機は合理的に説明できる、といったことを前提にしているように思える。これは、何も法律学に限った話ではない。経済学においても、合理的経済人を前提としたモデルや仮説と検証が基本となっている。
長さを調整するために、ネクタイを結び直しながら、考えてみる。本当に、人間は合理的に行動するのだろうか。宝くじを買うことに、高級車を買うことに合理性があるのだろうか、ダイヤの結婚指輪をあげることに合理性があるのだろうか。合理的とはいえそうにない。
そんなことを言っている自分は合理的なのかと問い掛けてみる。二日酔いになって辛い思いをすることが解っていながら飲み続け、後悔する自分。階段を昇り降りすれば健康に良いことが解っていながら、ついエレベーターに乗ってしまう自分。かみさんに一言「愛してるよ」と言えば家庭円満になることが解っているのに、言えない自分。ネクタイを外せば快適なことが解っていながら、絞めて仕事をする自分。どうやら不合理の塊のようである。仕事柄、合理的に行動しなければ。
酷暑の毎日、ネクタイを締めて仕事をすることは苦行である。いったん絞めたネクタイを外しながら、ご時世でもあるしな、などと言い訳をしながら、今日はクールビズで出勤してみた。極めて、快適で、仕事もはかどりそうである。
弁護士 福田浩